suusan no blog

日記、短歌とか。2002年生

会話をする

 

最近、めっきり人と話すことをしなくなった。大学には友達もいるが話す機会がないし、LINEで連絡を取る人もいなくはないけれど、一つの出来事の発散のように、言葉のキャッチボールを全然していない。ここ一週間、ほとんど一人でいたような気がする。

一人で何をしていたかというと、特段なにもせずただひたすら物思いに耽っている。絵を描いたり、読書をしたり、スマホゲームをしたり、漫画を読んだり、それだけで優雅に成り立っている。バイトがなくなって、元より授業も殆ど単位を取ったので、この四日間ぐらい何も予定のない日々だった。一日目はただひたすらに寝ていた。それまで休日がなくて、何をしていいのか分からずに朝食を摂ってそこから夕方まで長寝をしていた。このままではやばい!つまらない四日間をただ時間の進むままに待っていてはダメだ、孤独を楽しまないと。と思って、次の日に電車に乗って、三駅先くらいの温泉のある街に足を運んだ。本当は、できるところまで遠くに行きたかったのだけど、生憎そんなお金はどこにもなくて、片道240円の小さな片手間旅行をした。

知らない街を歩くのは楽しい、これは小さい頃からずっとそうだ。自分の知らない街で、誰かが生活している。歩いていると、その誰かの生活の一部になれた気がして嬉しい。一人が楽しい。孤独なんて寂しいニュアンスで憐れむな。その街を1時間くらいかけて大好きな考え事をしながら歩いた。その日は500円の温泉に入ってまた電車に乗って帰った。次の日は沢山絵を描いて、またその次の日は図書館で本を沢山借りた。

初日に丸一日寝て気づいた。世の中にはしたことのない体験ばかりで、自分はしたいことが山ほどあるのだと。擦り切れるほどやり尽くしてから、あの心地よいベッドに沈みたい。

 

 

ここ二年くらい、人と会話をしていて心に暗い靄がかかっていた。それが何かわからずに、楽しくおしゃべりしていた。自分は人間が大好きだ。友達ともなると殊更に。人と話すことをずっと楽しめるせいでその靄を見て見ぬフリをしていたけれど、ちょっとずつそれが何かわかってきた。多種多様な方々と話をする、昔からの友人、好きだった人、バイト先のおばさん、教授、クラスメート…どれも楽しい話なのだけれど、薄らと漂う嫌悪感があって、それは微妙な節々の「変化」である。自分はそれが嘘であるとずっと信じていた。自分はこう思われたい…みたいな自己顕示欲とナルシズムを見せつけていて、どれも理想を空虚でベタ塗りしているようで吐き気がした。そういった欲は内在させることが最善だと勝手に解釈していて、それが勘違いだということにやっと気づけた。それは嘘なんかじゃなくて、「理想」に近づくための一種の縛りなのだ。その変化を言葉にすることで、いつかそうなる「自分」への餞を散りばめているのだと思う。それを自分自身が能動的に何も成長しないことにいらつき、全て俯瞰しては、土俵に降りずに言葉と矛盾する人の様子を嫌い、馬鹿にした。人が発信しているものを、「分かっていることを一から説明されるのはノイズに等しい」とか、自分の尊敬しない人の言葉を面白がらないのがクールだと感じていた。

そういうことじゃないのだ。聞いて理解できるものをそのまま発信できる人は少ない。自分で話す時にはたくさんの引き出しを開けて選び、並び替えなければならない。人の言葉を文字検索して自分の脳から引っ張り出すのとは訳が違う。これも人が聞いたら当たり前だろうと思うかもしれない。でも当たり前のことを自分で言うことが大事だと最近思い始めた。

また人は永遠に選択を迫られる。後退しないために、変化と不変の選択を取り続ける。わからないなりに人生の軌道をズラす。それが音楽だとかタバコとかパチンコとか、或いは啓発(所謂インスタグラマー)だとか、人付き合いだったり。少なくとも自分自身が善いと思える方向に向かっていっている。一点張りだった視点を変えたり、純粋な欲を満たすために。それなのに、自分が信じえないものに傾倒する人を慇懃無礼な態度で見てきた。きっと羨ましかったのだと思う。変わろうとすることが恥ずかしくて、地力の無さに託けて、「自分はこうならない」とか思いながら生きてきたのが勿体無い。何もしてこなかった自分のこの二年半は八割は無駄だったのかもしれない(精神的には)。

靄の正体はそれだけではなくて、成長していない自分から生み出される情報の鮮度が落ち続けていっていることに対しての焦りもある。自分はずっと自分のことを「面白い」と思っているし、それに対する責任感に人一倍縛られている。変わらない「面白い俺」でいようとすればするほど、自分のする話は単調になっていて面白くない。今までの貯金を濾して濾して絞りきる直前にやっと気づけた。今一番大切なのは、自分との対話と情報を吸収することだと思う。本当はやりたかったことと、やっておかなければならないことを取り返したい。棒立ちのまま居させられるのはもうやめたい。自分の意思で歩くか、棒立ちか、それが大事なことだと思う。

 

 

たくさん寝た次の日から、初めてのものに沢山触れた。初めての場所にも行った。行ったからどうとかっていう訳ではないけれど、何かが変わればと思ってみんなもすごく有意義なことだったり、くだらないことをし続けているのだと思う。早くこれが実を結んだら、また色々な人と会話をしたい。もう本当の意味でしか馬鹿にしない。嘘を越えて、変わっていく姿を皆んなにも見せたい。いつか孤独と共存をうまく扱える日がくれば、それを幸せというのだと思う。

一人の時間が、一人の男を成長させる。二人の時間が人生を彩る。そうなるように、やるべきことをやらなくちゃいけない。

だって男に二言はないのだから。

 

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