単位あたりの(生活)

 

おいーす。

 

もう11月に入ってしまいました、気温もなんだか上下する日々で、風邪も流行っています。

 

どうかお身体にはお気をつけて、

 

の日記です。

 

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数年前のはなし、

 

好きだったブログの更新が段々と遅くなって、その更新を待つ日々が長くなっていったのが悲しかった。

 

数日刻みで更新されていた記事の一覧が、気づけば年単位で刻まれていたりする。ふと、その更新を待ち続けた数ヶ月がすっぽり抜けたような気がする。

 

 

前から何気なく見続けていたものを振り返ると、最近だと思っていたものが5年前の話だったりする。小学生の時に憧れていた中学生のラブコメだったり、高校生の青春モノとかが、もう気づけば主人公たちより年上になっている。

 

多分、夢中になっている瞬間だけ時間が切り取られていて、いつでもゲームの「つづきから」のように戻ってしまうのだと思う。だから未だにルフィも八軒もボッスンも、自分より年下だと思えない。

 

 

この憧れは、いつになったら終わるのだろうか。

 

 

なんとなく、この日記も更新が月1.2になって、しばらくしたら2ヶ月に1回とかになっていって、年更新とかになってしまう気がする。

 

そうなる前に、残しておきたいことを書いておこうと思う。

 

 

最近、やりたいことと体力が釣り合ってなくて何もできずにいる。

 

やっと、やっと本を読むことの楽しさに気づいたのに、読めない。

 

本当は絵を狂ったように描き続けたいし、本をたくさん読みたい、勉強だってほんの少しだけしたい。

 

でもそううまく身体が動いてくれない。怠惰すぎるとは自分でも思う。

 

1日がもう少しだけ長くあってほしい、寝たい。

 

 

自分はかなり芸術の"魔力"に傾倒していると思う。美術館とかに行っても永遠にいる、マジで。

 

センスあるだろ〜とかじゃなくて、ただ単に絵だったり、オブジェを見るのが他の人より好きなだけだと思う。ボキ、センスあるし。

 

だから、人より審美眼的なものはあると思うし、何より人よりも芸術というものに不寛容なのかもしれない。

 

簡単に自分を他人に知ってもらえる世の中になってしまって、俺は窮屈している。自分に自信のある奴だけがどんどん前のめりになっていって、埋もれるばかりで苦しい。

 

 

俺は自分から生まれる言葉が一番好きだし、自分の思い描く風景が一番好き。自分の脳内全てが本質なんだと思う。みんなもそうでしょ、きっと。

 

 

でも俺は芸術を信じきっているから、それが一番好きであったとしても、優れているとは思わない。それどころか、拙くて、芸術に顔向けできないと思っている。

 

普通にサラリーマンとして働かずに、そういう道に行きたいと思ったことも多々あるし、今もまだ後悔していないわけじゃない。でも、自分の心の内の数%は、やっぱり不純な動機もある。

 

もしかすると、それが自分の中のゴールかもしれない、とかそういうことを思った時点で、自分は三流なのだと思う。本当に凄いやつは、自分を疑わない。疑っても、信じ続けられる人が実を結ぶのだと思う。

 

たまに、自分よりも才能も、努力もない「人気」とか「理想像の押し売り」の獲得のために、芸術らしきものの猿真似をする人が一定層いて、そういうのを目にすると不愉快になる。

 

でもこれには寛容であるべきだと思う。理由なんてさして重要ではないのに、なぜ怒りを覚える必要があるのか、自分でも分からない。

 

ただただ、凄いものを見たいだけなのかもしれない。それが自分でも生み出せることができるのなら、これ以上の幸せはないのかもしれない。

 

 

ただ楽しめれば、それで十分なはずなのにね。

 

 

 

友達がよくする、バイト先の女の子が可愛い話とかに本当に興味を示さなくなった。

 

お互いきっと楽しい話をしたいだけなのに、つまらなくなってしまうのは、自分のせいだと思う。

 

だんだんと広がってしまった「楽しい」の違いのせいで、前まで選べていたものを拒絶しそうになってしまう。

 

みんなのことが好きなのに、どうしても受け入れられない瞬間があって、吐きそうになってしまう。

 

 

徐々に周りが道を踏み違えるのを、俺はバカにしながらその背中が小さくなるまで見続けている。

 

置いてかれているのは自分の方なのに、いつまでもそこから動こうとしないでいる。はやく見捨てられていることに気づきたい。

 

 

明るかった、いいヤツだったときの自分を返して欲しくなる時がある。

 

 

誰が奪ったわけでもないし、そんなにいいヤツでもなかったのに。

 

 

バイクを先日、冬季保管で預けた。

返す一週前くらいに、色々なところへ行けてよかった。

 

なぜか分からないけれど、ただひたすらに長い道、大きな遊歩道がある道、夜のバイパス、ちょっと遠出した観光名所、その帰り道、全部が初めてなのに、懐かしくて、自転車に乗った厨二病の頃のボクとか、家族のこととかを思い出した。

 

11月の風は冷たく、強く全身に打ち付けて、身体は醒めているのに、頭がぼんやり滲んでいるようだった。

 

もう家族全員で過ごす生活が二度と来ないことに、少し寂しくなった。

 

 

そういえば、バイクがあるうちに行こうと思っていたカフェをメモしていたのに、結局いかずじまいだった。

 

別れがあれば出会いもあるよねってことで。

 

また春に会おう、、!

 

 

どうか今週も、それからもずっと元気で過ごせるといいな。

 

チ○チ○痒いの治りますように。

 

おわり