End of adolescence (中三の春)

 

400km離れた友達にバイクで会いに行って、昨日帰ってきた。この時期に9時間近く乗っていればそりゃ風も冷たくなるって感じで今体調を崩している。 というか、行きも着いたはいいけどそこから38℃くらいの発熱をして、初日を台無しにしてしまった。

 

帰りの日は天気が良くてバイク乗りが多かった。本州の人は北海道と違ってヤエーをする人はそこまで多くなくて、海岸沿いに近づくにつれて多くなった。長い冬を終えて、みんな浮かれている。キラキラした海が戻ってきて、おれも浮かれている。

 

浮かれたついでに、前の記事でthreadsで短歌を上げていることを話したけど、Xにそれ用のアカウントを作ってそこで上げるようにした。身近な人がいない、似たようなことをしている人の反応が新鮮で嬉しい。ヤエーもそうだけど、これから関わることのない、誰かもわからない人とのコミュニケーションは熱に浮かされていて、その感情のみを共有している気がする。不思議と心地よい。

 

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あの夏に必要だったエトセトラ 君と単車と長いトンネル

 

短歌をあげつづけていて、自分の短歌に「きみ」とか「あなた」がよく使われていることに気づいた。 というよりも、誰かがいる前提で話を進めていることが多い。普段の生活で、誰かと何かをする機会はなくて、だからこそ自分と今一番距離のある「恋」とか「青春」を理想として持ち上げているのかもしれない。

 

ひとりでいると、理想のあなたが沢山現れる。それはひとりでいる特権だと思う。でも、時間は限られているから、いつまでもそういう逆張りみたいなことはやめたい。

 

 

バイクで帰っている9時間、色々なことを考えていた。

 

昨日、思春期が終わった。

 

「昨日、思春期が終わっていたことに気づいた。」が正確か。

 

なんとなく家族のことを考えるようになったこととか、自分の大事にしていたものを言葉にするのに恥ずかしさがなくなっていたこととか。そういう自分の中で特に気を付けていた、しちゃいけないことみたいなのを、とっくに忘れていたことに気づいた。トンネルをくぐれば心が躍り、童心にかえったみたいに心が穏やかでいて遊び足りない気持ちが蘇る。

 

自分は人より成長が遅いと思って生きてきた。能力的な話ではなくて、精神とか、身体の馴染み方とか。思春期も細く長く付き合ってきた。中学生に入ったとき、自分には「反抗期」がなくて誇らしかったことや、実はそれもゆるやかな成長曲線の始まりだったこと。永遠に続く「仮想敵への抵抗」も全てようやく終わった。

成長の遅い自分には、「思春期」にも細分化された「思春前期/後期」みたいなものがあって、未だに後期での闘争が尾を引いている。

 

3〜5年前くらいから始まった「思春後期」の大きな闘争は自問自答にあって、人との距離感の問題に悩んでいた。多分これは普遍的であり、自分だけが悩む問題ではないことも知っている。俺は人が好きすぎるあまり、大好きな人たちから嫌われないようにずっと視線を伺い強張らせていたと思う。自分に自信がなくて、迷惑をかけることがどんなことでも大罪だと決めつけてきた。そういう風に生きてると、どんどん距離が開いていく。近づいても、それ以上のところで急に何かを挟みたくなる。

 

そういう「闘争」とともに昔の友人をたくさん取りこぼしてきた。本当は割り切りたいのに、虚しい気持ちでいっぱいになる。昔も今も好きだった人たちを、純度100%で話しかけることがもうできない。ずっとやさしさとか迷惑をかけないとか、その人にとっての「それなりのポジション」にいることを自信に繋げていた自分にとって、それが悪手であることに気づくのが遅すぎた。

 

思春期の渦に呑まれる自分は「大人のみんな」を妬きつつも、邪魔をしない一心で生きてきた気がする。案外迷惑をかけてもいいこととか、今なら受け入れることができると思う。もし、こどもができるのなら、「優しくなりなさい」でも「人様に迷惑をかけるな」とかじゃなくて、いま思っている大事なことを話したい。

 

帰り道に、家族とかのことを思って涙がでたけど泣きはしなかった。男だし。

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海が輝き出せばもう寂しくない 小さな神様にバイバイ

最後に泣いたのはいつだっけ。

 

前に付き合っていた女の子とお別れする時は泣いた。でもそれも思春期だったと思う。勝手に涙が出たわけではなくて、自分のために、自分に酔うために泣いたと思う。

 

でももうそれも思い出さない気がする。

 

今日、調子が悪くて昼寝をしていたら、久しぶりに夢を見た。

 

小学校でテロ対策訓練的なものがあって、見せしめにモデルガンのようなもので三十発くらい腹を撃たれた。みんなは笑ってたけど、かなり痛くて、それでもみんなが笑ってるから我慢した。痛みの伴う方を選んで、楽をする自分が懐かしかった。

 

それはまあ前座みたいなもので、その訓練会が終わったあとにそれを昔の同級生に愚痴ったら「偉いじゃん」と褒めてくれて、なんとなく青春だった。そんな青春ぽいことをしたのち、気づけば卒業式が終わったところに走馬灯みたいに懐かしい人たちが沢山いた。

 

昨日の帰り道のことを整理したのかな、となんとなく思っている。「思春期」が終わった自分にさよならを告げるかのような夢だった。もう会えない人たちと話して、それが人生だったかのような懐かしくて、温かい場所にいた。

 

 

夢から醒めて、起きたら狭いアパートにいた。p.m.3:23 、外は少し陽が落ちていて、心にぽっかり穴が空いたみたいな虚しい気分で外に出た。

 

「本当は、無理をしていた自分を褒めて欲しかった。自分は自分から関わらなくても、永遠に求められる、スターのようでありたかった。」

 

おまえはそう思っているんだろ?

 

みたいな投げかけをされたみたいで、そしてそれが間違いではないことが情けなくなった。自分の理想のために、誰かからのアクションを待っていただけの生活に、いつかはピリオドをうつ必要がある。

 

それがいつになるかは分からないけど、大事にしたいものを大事にしたい。自分がいなくてもいい世界で、みんなの強烈な幸せになりたい。

 

 

あとは太ったので痩せる、筋トレがんばる。おわり。

 

おわり