床についてから

🌕

 

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12月の末から熱と頭痛が続いていて、それが2週以上治らなかったため、病院をハシゴして検査をしたもののいまだ原因は分からず、今もなお謎の不調に悩んでいる。そのせいで、精神面に問題があるのではないか、とかこのまま治らなかったらどうしようとか、余計に身体を蝕みそうな問題を内側に抱えながら闘っている。


これまでの人生でここまで長期に不調に悩まされることはなかった。自分の身体は素直なため、何か異変があればすぐに体温を上げ、3日間以上持ち越したことがない。また病院を何件も渡り歩き、検査をして、ことごとく異常がみられないのも自身の不安を加速させていく。精神的なものが原因だとすれば、この原因不明の不調がまた心を疲弊させ、負のスパイラルになっている。


ここ半年間の生活で何か心身ともに落ち込んだことは特に思い当たらないし、最近あった苦しいことといえば11月に歯痛で何もできなかったことくらいだ。だから心疾患的なものではない、、、とそう思いたがっているのも事実。その思い込み自体が自分を追い込んでいるのだとしたら否定できなくもない。


 


このあいだ脳外科に行く前日のこと。前の記事に書いた、道端で死んだカラスのことを思い出した。脳ということもあり、過剰にナーバスになっていたのだと思う。

 

「自分がもうすぐ死ぬものだとして、悲しんでくれる人はいるのかな。泣いてくれる人は、1週間くらい引きずってくれるかな。会いたい人に、、、」

 


あの死んだカラスはもう俺ひとりしか憶えていないのだ。だとしたら結構幸せ者なのかもしれない。「俺」は傲慢だから、そう思っている。でも人間だいたいそんなものだと思う。

 


「会いたい人」というか、もう会うことのない人のことを考えて泣いてしまうことが多くなった。

 

人となりが変わってしまって、もう会わなくていい人も増えた。きっと直近の5年間でも9割近くはもう会わないのだろう。分かり合えないことはとても冷たく、悲しいことだと思う。けど、それ以上に悲観すべきなのは、分かり合うことを放棄し始めた自分だと思う。もう誰のことも「理解」したいと思わなくなってしまった。


街中でいちゃつくバカップルも、教室の隅で原神をする陰キャも、インスタとかBeRealに取り憑かれている自己陶酔達も、学食で群がる有象無象も、寂しさを紛らす穴モテJDも、粗品ぶってる被保険者大学生も、港区界隈も、整形垢も、筋トレが正義だと思ってる脳チンコトレーニーも、理想の自分を守るために他人と比較するやつも、小さいころ好きだった人も、そいつの彼氏も、全員くだらない、本当にくだらない。


自分を認識してくれないことに苛立ち、攻撃性だけがだんだんと研ぎ澄まされていく。本当は分かっている。自分がくだらないと思っている人たちにも考えていることがあって、自分を確立させるために苦悩奔走し、それでも他人と共生しようとしていることを。やり方がどんなにチープでも、それを本気でバカにする人にはなりたくなかった。

 


「俺」という人間は、両親から愛され、友達からも慕われ、劣等感も苦労も強く感じたことがないし、かなり才能に恵まれていると強く思う。

 

だからこそ誰よりも弱く、脆いと本気でそう思う。

 

プライドだけは一丁前なくせに、小さなことですぐ悩む。自分を内面で誇示したがるせいで、なにもない空間から「仮想敵」をつくり永遠に攻撃態勢になっている。

 


床に就いてから永遠に旅行をする。あてのないことを


 

人と接することが大好きな自分と段々と性格が歪んでしまった自分を理解し始めたころから「やさしさ」と「犠牲」を重ねてしまうことがよくある。そこから、性格の悪い自分を「自分の属する社会」から孤立させることが「自己犠牲」とも「やさしさ」ともとれて、自ら進んで一人であろうとしていたと思う。


その無意味なやさしさについてをひとりで煮詰めていると、傷ついた分だけやさしくなれるということよりも、どこまでも独りよがりな自分の存在に気付いた。自ら望んだ「やさしさ」の孤独を誰も見てくれないという、矛盾を孕んだ承認欲求をどこにぶつければいいか分からなくなっていた。


結局、自分のためにしか涙は流せないのだと思った。人のためだと思っても、それは自分を守るための手段に過ぎない。


不調が続き、精神が不安定になって、返信もおぼつかなくなってきた。不安を吐露することで心が少しでも軽くなるのなら、この日記も何か意味があるのかもしれない。

 

はじめは、自分以外の人が何気ない日常を送っていることが虚しかったけど、俺も健康に、幸せになるべきだし、みんなも幸せであってほしい。くだらないと思っていたやつらも、子供のころ好きだった人も、これから二度と会うことのない人もこの日記を読んでほしい。

 

俺は本当にあなたに幸せになってほしいと思っているよ。

 

 

でもこれを読むならもうちょっと気前のいい、カッコつけたこと書くべきだったかも。

 

どこかの町のどこかの窓で、きっとあの人も、それから昔仲がよかったあの人も、同じような少し気だるい時間を夜に向かって急いでいる。みんな幸せにしているといいな、そう思うだけで、なにかが心の中にぽつりとたまる感じがする。透明でデリケートなもの。

.よしもとばなな 「どんぐり姉妹」

 


おわり

冬の扉

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一か月くらい前にカラスの亡骸を見た。次の日にはもう消えていた。

 

誰が、いつ、埋葬をしたのだろう、とそこの道を通るたびに思う。いや、埋葬というよりも 「処分」 の方が近いのかもしれない。

 

12月になり雪が積もってしまって、もうその場所も白く片されてしまった。きっと亡くなったカラスのことは誰も憶えていない。

 

今はまだ憶えていられるけど、いつか忘れる日が来ると思うから、ここに残しておく。お墓の代わりに、液晶の上だけど。



先週末から昨日にかけてクリスマスだったが、残念なことに、友達も、恋人もいないし、家族とも離れて暮らしているから、丸三日誰とも会わずに生活していた。ひそかにイブの日の晩ごはんを贅沢にしようと思っていたけれど、結局、昼に焼いたホットケーキのあまりと個包装のドリップコーヒーだけだった。最近、ドリップコーヒーにはまっている。ちょっとだけ大人になれた気になるのが誇らしい。

 

晩にコーヒーを飲んだせいで、全然寝付けなかった。暇だったので、本当は見たくなかったインスタグラムのストーリーをさらっと眺めることにした。知っている人と全く知らない人が一緒にケーキとか、プレゼントとか、二人だけの世界で互いに見つめ合っていて、自分が今いる6畳一間の世界とは別の世界を見ているようだった。みんな、ちゃんと今を生きていて偉いと思う。社会に染まることは簡単なようで、難しいと思う。なんというか、日々の些細なアクションひとつひとつにも選択を迫られている感じがする。複数のコミュニティに在籍し、それぞれアプローチを変えて、周りとの折り合いをつける。当たり前っちゃそうかもしれないけれど、コミュニケーション能力であったり、スケジューリング能力とか、日々過ごしていくための基礎的な「他人と生きる力」みたいなものが、こういうイベント毎に暴かれている気分になる。もう面倒くさいで片付けちゃいけないのかもしれない。誰とも関わらないでこんな小さな部屋すら出れないでいちゃ、本当はもうダメなんだと思う。

 

 

夜中は「死」みたいなもので、いつまでも思った通りに生きていけないことを教えてくれる。楽しくて、幸せだったはずの「ひとり」がこんなにも虚しく、価値のないものだと思わせる。分け合えないことはつらい。誰だってそうだ。無限にこの夜が続くような気がして、何度も寝返りをうって、ようやく眠りについたのは午前四時くらいだったと思う。

 

いつか自分にも本当の「死」がやってくる。それでも、死神が扉を開けてやってくる瞬間にも、永遠ともいえる遠い場所ではまだ自分は生きている。一昨日の、布団の中で眠れずに羊を数えている自分も、先月地面で息絶えていたカラスが生き生きと滑空している時間も、実在している。それどころか、宇宙は光速よりも速い速度で膨張する。遠い世界では、どの時間軸の自分も観測可能なのだ。たとえ心臓が動かなくなったあとでも。

 

さいころは死ぬのが怖かった。 いや、最近もだけど。でも死んでしまった自分と、生きている自分が同時に存在しているなら、「死」なんてもの、本当はないのかもしれない。

 

だから最近は誰かに「見て」いてほしいと思うようになった。いつか身体が思うように動かなくなって、なにも考えることができなくなっても、元気に生き続けられるように。そのためには、元気なうちに頑張るべきだと思う。かなり抽象的だけど、”がんばる”ことが大切。



多分、年内の投稿はこれでおしまい。


よいお年をお迎えください

 

This Will Be Our Year


今、ストーブを切った。すぐ眠る直前までつけていると勿体ないように思えるが、実際に消してから2時間くらい寝ないことが多いから、寒くて逆に寝付けなくなる。でも今日は暖かいから、今消してみた。

先日、年末に差し掛かる前に押入れの掃除をした。ありとあらゆるものをすべて引っ張り出して整理整頓していると、日記が出てきた。

ちょっと懐かしくなって中身を見てみたら、最後に書いてあるのは2022年の1月11日、1年ほど書いていないし、なんなら2022年も2回しか書いていない。2021年の9月に彼女ができて、いろいろ悩んでいたのに、その次にすっぱり1年飛んで、別れていたのが面白かった。たった2ページの間にたくさんの時間、葛藤、苦悩、歓びとかが空白のままに書き記されないでいた。無限って、こういうところにあるんだと思う。
だから今年1年もここで振り返っていこうと思う。憶えているだけ、できる限り。

 

雪が完全に解けるまえにこのブログを始めた。自分の中に溢れかえっている言葉を、どうしても外に放出したくて始めた。Twitterだとどうしても文字数が限られていて、抽象的になる。抽象的だと、チープになってしまう。これは完全に実力不足だけど。あとTwitterは知り合いがたくさんいて、恥ずかしくてどう転んでもネタになってしまうから。始めたはいいけれど、言葉が一辺倒で同じ事ばかり書いてしまっている。自分の語彙のなさとか、思考をしっかりと固められず、言いたいことを表現できないこととかに心が折れかける。もっと言葉を知りたいし、頭もよくなりたい。普段からしっかり結論付けする癖もつけたい。


雪が解けて、また恋をした。ちょうど桜が咲くころに。恋っていうものは、人間をはっぴーにする。多分、この「はっぴー」って表現がしっくりくると思う。心が躍った。初めてじゃないのに、生まれて初めて享受する歓びをじっと、大事にするように。
「また」恋をしたというのは言葉通りで、2回目だった。一度好きになって、青さが抜けぬままにお別れしてしまった。それからずっと切り離せていたと思っていたものが、どうやらそういうわけにもいかず、引っかかっていた部分を取り除くようにまた会話を始めてしまった。

楽しかった。とても懐かしい、心地よい緊張感。自分が自分でないみたいに、言葉もたくさん選んだ。言いたくないのに言ってしまった、格好つけた言葉の数々。やっぱりはっぴーだった。通知が来ないと不安だし、死ぬほどかわいい声でやさしい言葉をもらったときは、のどが渇いた時に飲むコーラよりも幸せだし、彼女が泣いていれば、世界の誰よりも親身になれるとはっきり言えた。一日中、その娘のことばかり考えていた。正直、他のことは考えられなかった。このブログも彼女のために書いたものがたくさんある。

でも、うまくいくと微塵も思っていなかった。現に一度失敗したし、なにより彼女にすべてを見せる自信がなかった、というか何もかも「本当のこと」を見せたくなかった。憧れのような恋なんだと思う。本当に好きだったから、自分なんかと深いところで関わらずに幸せになってほしいと思った。別に自分のことが嫌いなわけじゃない、むしろ自己肯定感は高い方だと自負している。それすらもはるかに凌駕する、理屈を越えた、精神的な繋がり。これは一方的だけど、小さな「神様」だと思った。だから、心のどこかで諦めていた。でもそれを忘れるくらい夢中に、日々とともに追いかけていた。


そうだ、バイクの免許もとった。でも、そこまで大変じゃなかったし、あんま憶えてないや。


どこから夏といっていいのかわからないけど、初夏のころはたくさん散歩をした。勝手に早朝さんぽ部を開催しては、4時に起きて2時間歩き回ったりしていた。夏は自分の産まれた季節でもあるから、どこか他の季節よりも距離感が近い気がする。アスファルトはじわじわと心地いいのか、悪いのかわからない熱を放出して、みんなと繋がりを持ちたがるし、空は雲一つなくて、青一色のベタ塗りなのに重厚感がない。それでいて、宇宙とつながっているかのように果てしなく青黒い。だけれど、とても軽やかだ。どこかの記事で書いた記憶があるが、夏のじわじわ暑い空気がひとしきり滞在した後に吹いた風で、J-popでよくある歌詞の「爽やか」の意味を知ったことや、日に焼けた自分の黒い手の甲に浮き上がる細やかな汗が、太陽の光を乱反射して、宝石のように見えたこととか、なんか夏はそういうあてのない、既視感漂う「エモ」に憑りつかれがちになる。夏を加速させて、少しでも涼しくしたいのかもね。


春に芽吹いた恋が遠くの誰かに摘み取られてしまった。実質的な期間は4か月くらい。その間の生活のスピードも同じくらいの体感速度。とてもはやく終わったと思うかもしれない。でも、思い返せば返すほど、永遠だった。重ね書きしたインクが空にとどくくらい、毎日飽くことなく彼女のことを考えていたし、満たされなくてもずっと俺は幸せだった。別に付き合うことが人類共通のゴールではないし、そのために命を懸けているわけでもなかったから、自然と離れていった。こころもからだも、ヒトはよくできたもので、もらった傷はもう自分の知らない、奥の奥の方にしまった。今までのことも忘れたわけじゃないし、好きだったことは憶えているのに、あの頃の心が躍り出すような、翼が生えた無敵のドキドキとかはもう脳みそのどこを探しても見つからないし、振り返ることなんかをしないと、日常を生きる上で思い出したりすることはなくなった。3年くらい抱えていた引っ掛かりももうない。今度会ったら、天気の話でもしようかな。本当はありがとうとか言いたいけれど、絶対に言わない。今はもう俺の方が強くてかっこよくて、無敵だから!


失恋(?)したころにちょうどバイクを買った。それはそれは大きなバイクを買った。風を切り裂け、大地を駆けろ、駿馬のように!みたいに一度ライディングしたら最後、気分は長瀬智也だぜ。大きな買い物をして、ドーパミンが脳内から溢れかえりすぎて、地面に漏出したんだ。買って一か月で砂利道でスリップして大ゴケ。修理代も最低限しか支払わず、やっぱりずっとカッコつかない俺の人生。まだまだ先は長いから、深呼吸して、のんびりやろう。


夏も終盤に差し掛かって、一週間程度の入院をした。入院というものに少し憧れというか、体験してみたい気持ちがずっと前からあって、すこしワクワクしていた。結局、面会はできず、点滴をさしたまま、風呂も入れず、頭も痛い、注射も怖いで、もう入院はしなくていいなと思った。健康が一番。でも、病院特有の清潔なのに、ツンとした空気感は今も気に入っている。人とまともに話せないと、スマホも全然楽しめないね、って感じ。

 

特に何があるわけでもなく、日々が淡々と過ぎていった。一度バイクで300㎞くらい走った。幼いころの、自転車でどこか当てのない果てまで行きたくて、限界に打ちひしがれていた自分に教えてあげたい。世界は際限なく広がっていることとか、0から300じゃなくても、0から1の間にも無限が存在していることを。

(追記)あ!あとそうそう、去年別れた彼女が俺のとても仲の良かった友達と浮気してたことが発覚!今更気づいても全然遅いのにね。ふぅ。すっかり忘れてたぜ、、


今、冬です。1年が終わるまでまだ半月くらいあるけども、もうあと半月かー、みたいなところはある。本当にこの1年は早かった。少しずつ、自分の「初めて」が減っていって、大人になったことに負い目を感じ始めているのかもしれない。まだまだ全然大人じゃないけれど、16、17のときとはわけが違う。何も変わっていないなんて自分では言うけれど、人よりいっぱい悩んで、考えて、歩いてきたものが蓄積されている。そう考えたら、成長していないなんて言葉、自分に言うべきじゃないと思う。しくったなー、めちゃくちゃ言ってるわ。

 

まばたきを3回している間に 

大人になるんですと君は言った。

.フジファブリック 「まばたき」

 

まばたきを3回、秒数にしたら10秒満たないのに、とずっと思っていた。15歳のときからこの曲が大好きだったけれど、この部分がずっとわからなかった。今年を振り返って、少しだけ実感した。この20数年、時間に直せばとても長い。あのとき考えていたこととか、半年前まで恋をしていたことだとか、細かく記憶をたどれば、きっかり20数年分になるのだけど、大人になった、今の年齢になった実感に必要なものを数えれば、まばたき3回で足りてしまうのかもしれない。それ以外の生きてきた証は雲の上の「Cloud」に保存してあって、死んだあとにゆっくりと確認できる。だから持てるものだけもって、「まばたき」しようと思う。

 

 

まだまだ書きたいことはたくさんあった。というか書き込みながら思い出している。いっぱい絵を描くようになったこととか、今年は1人でいることが本当に多くて、傷ついた分だけやさしくできると思っていたけれど、孤独でいればいるほど、独りよがりでわがままになっていることに気づいたこととか、まあ追々余裕があればいつかの日記に書ければいいと思う。昨日から、またノートに日記を書き溜めているし。

今回のタイトルはThe Zombiesの「This Will Be Our Year」(今年は私たちの年になる)からとった。2023年はあっという間で、何もなかったように感じるけど、ちゃんと生きた。1日も無駄になる日なんてなかった。これからの年も私たちのものになるように、「生きる」に愛着をもって、人生という散歩道を楽しめたらいいな、と思う。今年もいい年だったね、

 

ほんじゃまた。

 

The warmth of your love's

Like the warmth from the sun

And this will be our year

Took a long time to come

あなたの愛の温かさは

太陽からのぬくもりのよう

今年は僕らの年になるよ

ようやくやって来たんだ

.The Zombies「This Will Be Our Year」

 

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会話をする

 

最近、めっきり人と話すことをしなくなった。大学には友達もいるが話す機会がないし、LINEで連絡を取る人もいなくはないけれど、一つの出来事の発散のように、言葉のキャッチボールを全然していない。ここ一週間、ほとんど一人でいたような気がする。

一人で何をしていたかというと、特段なにもせずただひたすら物思いに耽っている。絵を描いたり、読書をしたり、スマホゲームをしたり、漫画を読んだり、それだけで優雅に成り立っている。バイトがなくなって、元より授業も殆ど単位を取ったので、この四日間ぐらい何も予定のない日々だった。一日目はただひたすらに寝ていた。それまで休日がなくて、何をしていいのか分からずに朝食を摂ってそこから夕方まで長寝をしていた。このままではやばい!つまらない四日間をただ時間の進むままに待っていてはダメだ、孤独を楽しまないと。と思って、次の日に電車に乗って、三駅先くらいの温泉のある街に足を運んだ。本当は、できるところまで遠くに行きたかったのだけど、生憎そんなお金はどこにもなくて、片道240円の小さな片手間旅行をした。

知らない街を歩くのは楽しい、これは小さい頃からずっとそうだ。自分の知らない街で、誰かが生活している。歩いていると、その誰かの生活の一部になれた気がして嬉しい。一人が楽しい。孤独なんて寂しいニュアンスで憐れむな。その街を1時間くらいかけて大好きな考え事をしながら歩いた。その日は500円の温泉に入ってまた電車に乗って帰った。次の日は沢山絵を描いて、またその次の日は図書館で本を沢山借りた。

初日に丸一日寝て気づいた。世の中にはしたことのない体験ばかりで、自分はしたいことが山ほどあるのだと。擦り切れるほどやり尽くしてから、あの心地よいベッドに沈みたい。

 

 

ここ二年くらい、人と会話をしていて心に暗い靄がかかっていた。それが何かわからずに、楽しくおしゃべりしていた。自分は人間が大好きだ。友達ともなると殊更に。人と話すことをずっと楽しめるせいでその靄を見て見ぬフリをしていたけれど、ちょっとずつそれが何かわかってきた。多種多様な方々と話をする、昔からの友人、好きだった人、バイト先のおばさん、教授、クラスメート…どれも楽しい話なのだけれど、薄らと漂う嫌悪感があって、それは微妙な節々の「変化」である。自分はそれが嘘であるとずっと信じていた。自分はこう思われたい…みたいな自己顕示欲とナルシズムを見せつけていて、どれも理想を空虚でベタ塗りしているようで吐き気がした。そういった欲は内在させることが最善だと勝手に解釈していて、それが勘違いだということにやっと気づけた。それは嘘なんかじゃなくて、「理想」に近づくための一種の縛りなのだ。その変化を言葉にすることで、いつかそうなる「自分」への餞を散りばめているのだと思う。それを自分自身が能動的に何も成長しないことにいらつき、全て俯瞰しては、土俵に降りずに言葉と矛盾する人の様子を嫌い、馬鹿にした。人が発信しているものを、「分かっていることを一から説明されるのはノイズに等しい」とか、自分の尊敬しない人の言葉を面白がらないのがクールだと感じていた。

そういうことじゃないのだ。聞いて理解できるものをそのまま発信できる人は少ない。自分で話す時にはたくさんの引き出しを開けて選び、並び替えなければならない。人の言葉を文字検索して自分の脳から引っ張り出すのとは訳が違う。これも人が聞いたら当たり前だろうと思うかもしれない。でも当たり前のことを自分で言うことが大事だと最近思い始めた。

また人は永遠に選択を迫られる。後退しないために、変化と不変の選択を取り続ける。わからないなりに人生の軌道をズラす。それが音楽だとかタバコとかパチンコとか、或いは啓発(所謂インスタグラマー)だとか、人付き合いだったり。少なくとも自分自身が善いと思える方向に向かっていっている。一点張りだった視点を変えたり、純粋な欲を満たすために。それなのに、自分が信じえないものに傾倒する人を慇懃無礼な態度で見てきた。きっと羨ましかったのだと思う。変わろうとすることが恥ずかしくて、地力の無さに託けて、「自分はこうならない」とか思いながら生きてきたのが勿体無い。何もしてこなかった自分のこの二年半は八割は無駄だったのかもしれない(精神的には)。

靄の正体はそれだけではなくて、成長していない自分から生み出される情報の鮮度が落ち続けていっていることに対しての焦りもある。自分はずっと自分のことを「面白い」と思っているし、それに対する責任感に人一倍縛られている。変わらない「面白い俺」でいようとすればするほど、自分のする話は単調になっていて面白くない。今までの貯金を濾して濾して絞りきる直前にやっと気づけた。今一番大切なのは、自分との対話と情報を吸収することだと思う。本当はやりたかったことと、やっておかなければならないことを取り返したい。棒立ちのまま居させられるのはもうやめたい。自分の意思で歩くか、棒立ちか、それが大事なことだと思う。

 

 

たくさん寝た次の日から、初めてのものに沢山触れた。初めての場所にも行った。行ったからどうとかっていう訳ではないけれど、何かが変わればと思ってみんなもすごく有意義なことだったり、くだらないことをし続けているのだと思う。早くこれが実を結んだら、また色々な人と会話をしたい。もう本当の意味でしか馬鹿にしない。嘘を越えて、変わっていく姿を皆んなにも見せたい。いつか孤独と共存をうまく扱える日がくれば、それを幸せというのだと思う。

一人の時間が、一人の男を成長させる。二人の時間が人生を彩る。そうなるように、やるべきことをやらなくちゃいけない。

だって男に二言はないのだから。

 

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単位あたりの(生活)

 

おいーす。

 

もう11月に入ってしまいました、気温もなんだか上下する日々で、風邪も流行っています。

 

どうかお身体にはお気をつけて、

 

の日記です。

 

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数年前のはなし、

 

好きだったブログの更新が段々と遅くなって、その更新を待つ日々が長くなっていったのが悲しかった。

 

数日刻みで更新されていた記事の一覧が、気づけば年単位で刻まれていたりする。ふと、その更新を待ち続けた数ヶ月がすっぽり抜けたような気がする。

 

 

前から何気なく見続けていたものを振り返ると、最近だと思っていたものが5年前の話だったりする。小学生の時に憧れていた中学生のラブコメだったり、高校生の青春モノとかが、もう気づけば主人公たちより年上になっている。

 

多分、夢中になっている瞬間だけ時間が切り取られていて、いつでもゲームの「つづきから」のように戻ってしまうのだと思う。だから未だにルフィも八軒もボッスンも、自分より年下だと思えない。

 

 

この憧れは、いつになったら終わるのだろうか。

 

 

なんとなく、この日記も更新が月1.2になって、しばらくしたら2ヶ月に1回とかになっていって、年更新とかになってしまう気がする。

 

そうなる前に、残しておきたいことを書いておこうと思う。

 

 

最近、やりたいことと体力が釣り合ってなくて何もできずにいる。

 

やっと、やっと本を読むことの楽しさに気づいたのに、読めない。

 

本当は絵を狂ったように描き続けたいし、本をたくさん読みたい、勉強だってほんの少しだけしたい。

 

でもそううまく身体が動いてくれない。怠惰すぎるとは自分でも思う。

 

1日がもう少しだけ長くあってほしい、寝たい。

 

 

自分はかなり芸術の"魔力"に傾倒していると思う。美術館とかに行っても永遠にいる、マジで。

 

センスあるだろ〜とかじゃなくて、ただ単に絵だったり、オブジェを見るのが他の人より好きなだけだと思う。ボキ、センスあるし。

 

だから、人より審美眼的なものはあると思うし、何より人よりも芸術というものに不寛容なのかもしれない。

 

簡単に自分を他人に知ってもらえる世の中になってしまって、俺は窮屈している。自分に自信のある奴だけがどんどん前のめりになっていって、埋もれるばかりで苦しい。

 

 

俺は自分から生まれる言葉が一番好きだし、自分の思い描く風景が一番好き。自分の脳内全てが本質なんだと思う。みんなもそうでしょ、きっと。

 

 

でも俺は芸術を信じきっているから、それが一番好きであったとしても、優れているとは思わない。それどころか、拙くて、芸術に顔向けできないと思っている。

 

普通にサラリーマンとして働かずに、そういう道に行きたいと思ったことも多々あるし、今もまだ後悔していないわけじゃない。でも、自分の心の内の数%は、やっぱり不純な動機もある。

 

もしかすると、それが自分の中のゴールかもしれない、とかそういうことを思った時点で、自分は三流なのだと思う。本当に凄いやつは、自分を疑わない。疑っても、信じ続けられる人が実を結ぶのだと思う。

 

たまに、自分よりも才能も、努力もない「人気」とか「理想像の押し売り」の獲得のために、芸術らしきものの猿真似をする人が一定層いて、そういうのを目にすると不愉快になる。

 

でもこれには寛容であるべきだと思う。理由なんてさして重要ではないのに、なぜ怒りを覚える必要があるのか、自分でも分からない。

 

ただただ、凄いものを見たいだけなのかもしれない。それが自分でも生み出せることができるのなら、これ以上の幸せはないのかもしれない。

 

 

ただ楽しめれば、それで十分なはずなのにね。

 

 

 

友達がよくする、バイト先の女の子が可愛い話とかに本当に興味を示さなくなった。

 

お互いきっと楽しい話をしたいだけなのに、つまらなくなってしまうのは、自分のせいだと思う。

 

だんだんと広がってしまった「楽しい」の違いのせいで、前まで選べていたものを拒絶しそうになってしまう。

 

みんなのことが好きなのに、どうしても受け入れられない瞬間があって、吐きそうになってしまう。

 

 

徐々に周りが道を踏み違えるのを、俺はバカにしながらその背中が小さくなるまで見続けている。

 

置いてかれているのは自分の方なのに、いつまでもそこから動こうとしないでいる。はやく見捨てられていることに気づきたい。

 

 

明るかった、いいヤツだったときの自分を返して欲しくなる時がある。

 

 

誰が奪ったわけでもないし、そんなにいいヤツでもなかったのに。

 

 

バイクを先日、冬季保管で預けた。

返す一週前くらいに、色々なところへ行けてよかった。

 

なぜか分からないけれど、ただひたすらに長い道、大きな遊歩道がある道、夜のバイパス、ちょっと遠出した観光名所、その帰り道、全部が初めてなのに、懐かしくて、自転車に乗った厨二病の頃のボクとか、家族のこととかを思い出した。

 

11月の風は冷たく、強く全身に打ち付けて、身体は醒めているのに、頭がぼんやり滲んでいるようだった。

 

もう家族全員で過ごす生活が二度と来ないことに、少し寂しくなった。

 

 

そういえば、バイクがあるうちに行こうと思っていたカフェをメモしていたのに、結局いかずじまいだった。

 

別れがあれば出会いもあるよねってことで。

 

また春に会おう、、!

 

 

どうか今週も、それからもずっと元気で過ごせるといいな。

 

チ○チ○痒いの治りますように。

 

おわり

 

 

EXPLAIN

 

朝もだいぶ冷えてきましたね。もうそろそろストーブをつけてもいいのでは、と思いますけれども11月までは我慢したいです。

 

秋はどんどん深まっていくばかり、の日記です。

 

どうぞー

 

 

7月から8月くらいに不定期開催していた早朝さんぽ部をそろそろ再開させたい。夏は朝5時くらいまではちょうどいいんだけど、6時を超えてくると暑くて汗がダラダラになる。

 

今くらいの早朝は空が薄暗くて、冬の始まりみたいに乾いた冷たい空気を楽しめると思う。汗もかかないし。最近ずっと早起きしているのだけど、布団が気持ち良すぎてさんぽに行けない。これは秋冬のしょうがない問題だと思う。

 

雪が降るまでには2〜3回、明け方にさんぽしたい。

 

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Francfrancがクリスマス一色のムードになっていた。さすがに早すぎるとは思ったけど、全俺とJKの胸が高鳴っていると信じてる。

 

妙な軽さで浮かれていて、それもなんか心地よい。

 

 

人の意地汚さとか、根深い執念とか、そういうのはもういい加減わかった、からそこまで気にしない。

 

けど最近、自分を守るためだけの奴が多くて、それが一番苦手だってことになんとなく気づいた。

 

みんな、自分が自分であるためなら意外と何食わぬ顔で"ダメ"なことをする。道徳に対する矛盾が許せない、お前は誰なんだって感じだけど。

 

 

でも、俺も自分勝手なときがある。それも忘れたくない。

 

 

昨日、夢を見た。

 

前まで思わなかったのに、高校生の頃に戻りたい、と思って少し泣きそうになった。

 

なんでそう思ったのかは分からないけど、なんとなく話して、なんとなく遊んで、なんとなくで精一杯楽しかったなーと、やっぱり生きてきてよかった。

 

 

しょうもないことで争ってるし、しょうもなくないことで争ってる。

 

喧嘩、好きくない。

 

 

男はマジでバカだしどうしようもないけど、愛されるべきだと思う、

 

女はマジでおもんなくて憎いけど、それ以上になくてはならないくらい愛しい。

 

 

大した差なんてないし、争わないでほしい。

 

 

いちいち説明するのが面倒くさい、誰だって平和がいいに決まってる。

 

なのになんで?って思うくらいに、みんな攻撃的で、悲しい。

 

 

今日、あんまり話さない人たちと仲が少し深まった。それがちょっと嬉しかった。

 

 

お天道様に恥じないように、徳を積んで行きたい。

 

いつか報われるように、死なないようにしたい。

 

 

explain

 

Xのタイムラインで流れてきた今田美桜が可愛くて、エッチだった。

 

 

結婚したいなー

 

 

エヘ、終わり

 

 

 

 

 

goood night zzz

 

最近雨が続いていて、歩く機会が増えた。

 

この2ヶ月で随分と太ってしまって、頑張ろうと決意した。ジムでサボんないようにしたい。

 

地味な男の子が差していた傘の撥水性で、雨粒がきれいにするすると流れていった。自分はビニール傘だから、特に何も心動かない。

 

おろしたての靴なので、ちょっとだけ足を高く上げるように歩いている。

 

今日、パジャマを半袖からスウェットに移行した。最近は暑いのか寒いのかわからない。布団をかぶると蒸し暑いと思うけど、朝にはきっと冷えてるはず。

 

寝る前はいつも寂しいけど、ひとりでなんとかしたいと思う。自分の正しさはいつも独りよがりで勝手だと思う。それでもみんなより正しくありたいし、強くなりたい。

 

13℃、これが1番ちょうどいい気温だと思う。風はちょっとだけほしい。

 

床がきれいな部屋に住みたい。ゴロゴロしたいなー

 

それじゃ、寝ます。

 

おやすみ

 

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