suusan no blog

日記、短歌とか。2002年生

Home sweet Home (ただいま)

 

うーっす、元気してますか。

 

とうとう10月に入りました、朝は冷えて昼は暑くてなんだか忙しいです。

 

それではどうぞ

 

 

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帰路

 

1.

夏休みが終わったので、しばらくいた実家から帰ってきた。アパートに帰ってきた瞬間とても寂しくなった。誰もいない部屋は片付いていて、この夏休みがとても楽しかったことにようやく実感できた。

 

ひとりでいないために外に出ようとしたら、ちょうどエホバの証人の人達が勧誘してきた。寂しすぎてたくさん話してしまった。

 

人ってあったけえなぁ〜とは思ったけど、そんなんじゃまだ靡かないぜ。

 

2.

昨日、ひとりでお酒を飲んでしまって失敗した。何もかもを間違えてしまって不貞寝したけど、夜中に友達が電話をかけてくれて少し救われた。

 

その日の何よりも楽しかったと思う。

 

3.

大切な人たちのために、どうでもいい人を雑に扱って生きている。

 

自分の吐き捨てたい気持ちをそうやって処理するのはいつかやめるべきだと思う。でもどうしても楽な方に逃げてしまう。

 

なりたくなかった、ありきたりな人間になったなーとつくづく最近思う。カッコ悪くてどうしようもない。

 

自分は今きっと楽をしていて、それでいて報われない自分に原因を探そうとしていない。自分だけが優しいだけじゃなくて、本当は周りから優しくされているはずなのに、「やさしくされたい」と思ってしまっている。

 

やさしくされたいというよりも、特別なやさしさが欲しい。

 

無償の、とかそういう無責任なものを享受しようとしていてずるいし、情けない。

でも、変わる気もないのだと思う。

 

4.

最近、ゲームをする気が起きない。

 

やりたいとは思うんだけど、身体だけが動かないでいる。

 

ちゃんとした生活のために、自分のからだが何か別のところから支配されている気がする。

 

5.

機会はそこらへんに沢山転がっているのだと、今日なんとなく散歩をしていて分かった。

 

意外と部屋の外は澄んでいて、綺麗だと思う。

 

6.

膝を擦りむいてできた瘡蓋を3日に一回剥がしている。

 

まだまだ血は出てるのに、じれったくて剥がしてしまう。

 

いつかどうでも良くなって、自然と治る日が来るといな。

 

7.

通知に期待しすぎないように マナーモードで知った あなたの返事

 

好きな子からのLINEが待ち遠しくて何も手につかない時、よくおやすみモードにしてたのを思い出した。

 

結局、携帯の通知欄をみたりアイコンの通知数を確認したりして、何も手につかなくて意味はなかったけど。

 

こういうことを忘れないために日記を書いているのだと思う。

 

8.

もっともっと言葉を知りたい、分かりやすい言葉だけで難しいことをストンと理解できるようになりたい。

 

自分の方ができるのになってことを、実際にやらなくちゃいけないと思う。面白いこととか、素敵なこととか、くだらないこととか。

 

机上論のおじさんにはなりたくないと日々思っているのに、0から始めることの恐さが足枷になって腰が上がらない。でもそれももうできないことの言い訳にしたくない。

 

9.

こないだ久しぶりにパーカーをきて、ヒトのような温もりを感じた。

 

そのせいでさみしい日々が続いていたのかもしれない。なんだか飢えている。

 

 

キモいかもしれないけど、抱擁が大事だと思うし、本当の意味で、異性と共存することの意味が分かった。

 

膝枕されたいし、よしよしもされたい。これは普通にキモい意味で。

 

10.

なんだかんだで10月、このブログを始めてから半年が経っていて、ビックリしている。意外にも飽きずにコツコツ更新している。

 

だんだんと自分の言いたかったことを吐き出して、更新できなくなる日が来るかもしれないけど、そうならないために日々たくさんのことをインプットして、考えて生きていたい。

 

もし言いたいことが沢山あるのに書くことがなくなったら、それはきっと幸せなことだと思う。

 

ひとりじゃないとこんなん書けないと思うし。

 

 

 

久しぶりに10コ書いてみました。

 

ひとつずつコツコツと、そして10の幸せがみんなに訪れますように

 

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おわり

 

 

 

 

 

オトコイイトコ

 

どうも、こんばんは。

 

今日は5時間くらい昼寝をしてしまったので、なかなか寝つけませんね。日曜日ってすげー。

 

の、日記です。

 

 

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夢を見るたびにメモ帳に残すようにしている。

 

いつかみた風景とか、場所を思い出すのが好きだったりするのと、忘れるのが嫌なのだと思う。最近はフランスに行ってきた。けど階段は急すぎて怖かったし、よくわからないデカいオブジェが山から生えてたり、本当のフランスからは程遠い気がする。

 

2週間前くらいにも、エスコンフィールドにいく夢を見た。だけど、あれよあれよと巨乳のお姉さんがでてきて、今すぐにでもエッチな展開になりそうだった。なんだか、最近の自分の惨めさに拍車をかけているみたいで、夢の中で悲しくなってしまった。その時、人生で初めて夢の中から強制的に目を覚ました。これは本当にすごいと思う。エッチな展開を理性でセイシ(笑)し、あろうことか自分の意思で仮死状態から戻ってきたのである。

 

馬鹿みたいなことなんだけど、小さな一歩を踏み出したと思う。

 

 

「可哀想」アピールをもうやめようと心に決めた。そういう取り込み方をして、何かをできない言い訳で許しを乞う姿勢がダサいと思った。だからこそエロい夢からも逃げ切ったし、男に生まれた意味を今一度取り戻そうと、ここ最近はがんばっていたと思う。自分なりに。

 

 

それでも相も変わらずちょっとの失敗とか不運が重なり続けている。

 

そう、自分の人生いつだってカッコつかない。

俺はこの先一生"オトコ"としての魅力がないまま終わっちまうのかもしれない。あえて褒めるとするならば、誰も傷つけないピエロなのです。そこだけがちょっとした誇りだと思う。

 

でもそれはピエロとしての、ヒトとしての誇りであって、一回でいいから"オトコ"としてのかっこよさを身につけてみたい。でもショーヘーが「憧れていては越えることができない。」って言っていたので、俺はこのままでがんばろうと思う。みてて翔平。

 

 

自分にとって都合のいい人が好きなのは、それはそうだと思うけど、そういう人にまで自分を押し付ける人がだんだん増えてきたと思う。増えてきたというより、成長していないってことなのかもしれない。園児とかはみんなそうだし。

 

気づかなかったことが色々見えてきて、その度に自分って小さい人間なのかな、とかなんで普通ができないのかな、とかそういうことを考えるのが嫌になってくる。

 

 

高倉健のような、不器用で人情溢るる漢になりたい。

 

でもそれって鈍感とか知らないことが多かったりとかそういうのじゃない気がする。強くなりたい。

 

 

なんて無謀なんだろう。なんて素敵なんだろう。あなたが今でも私の手の届かないところにいて、これからぴかぴか光りだす。心が躍った。

.絲山秋子「袋小路の男」

 

 

おわり

 

夏の終わり・ちいさな子ら

 

ようやっと夜も涼しくなりまして、汗をかかずに迎えられる朝がこんなにも気持ちいいことを再確認しつつあります。

 

 

9月入ってすぐに1週間ほど入院いたしまして、書こうと思ってた日記も麻酔が抜けずにボーっとしてたらもう10日なんですね、コワ。

 

 

のオータム日記です、夏おわり

 

 

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最近、常に頭の中で"懐かしさ"を求めている。というのも、どこかわからなかったけど、昔行ったことがある場所にふらっと着いた。憶えている箇所とそうでない、新しい発見を比較してみたり、とても楽しめた。自分の親が自分を色々な場所に連れてってくれて本当に良かったと思う。自分がいつか子どもができたとき、同じことをしてあげたいと思った。

 

それとは別に、小さな頃によく行っていた図書館に不意に行きたくなったりする。でも行ってしまうとマジで大したことないんだろうなと思って心の中でブレーキをかけることがよくある。

 

小さな頃はなにもかもが大きくて、圧倒される日々だった。それから十数年経って、毎日が過ぎるごとに世界が小さくなっていく。最近の自分は、外からの力に圧倒されたいのかもしれない。自分の意思で自由自在になんでもできるのが裏目に出て、何もできないでいる自分が嫌なのだと思う。だんだん身体ばかりが大きくなっていって、小さくなっていく世界を俯瞰できるほどのチカラを持つための努力をしているのか?とか、そういう小さなことばかり気にしてしまう、暇だから。

 

ちいさくて、なにもわからなくて、とてもなきむしよわむしな、これから何にだってなれる自分に戻りたい。ありきたりだけど、人生後悔ばかりだと思う。

 

 

 

今日車に乗ったとき、父親の車の運転先の後ろに挟めてある地図をずっと眺めていたことを思い出した。観光マップのページの地域別の見出し分が壮大で、お気に入りだったことも憶えている。

 

自分の理想の懐かしさには必ず"強制力"が発生する。上の話だと、車に長時間乗れば当時はスマホなんてものはないからその地図を見ざるを得なかった。自分の欲しい情報じゃなくても無理やり入ってくるものがある。最近の自分、というかほぼ大人全員にその強制力が足りてない気がする。みんな本当は、スマートフォンを自ら望んでいじり続けてはないと思う。どうしようもないとか、仕方のないことだと諦めながら触ってる気がする。

 

 

そろそろ好きだった人のことを忘れようと思う。

 

短かったけど、結構楽しかった。

 

情けない自分にはこれからも悩まされると思う。

 

夏が終わったから、もう忘れる。

 

永遠に薄めるカルピス 人として好きだからって何回も言う

.藤宮若菜

 

 

幸せのために生きれたらな、と思う。

 

 

ちいさなころはお父さん、お母さんが神様に見えた。

 

でも今はヒトなんだと、大きくなってしまったからわかる。

 

 

こないだ何年かぶりに兄弟が揃ったので写真を撮った。両親がその中で、とりわけ見た目が若かった自分に対して冗談抜きで「人生何も苦労しないで育っているから、見た目が幼い。」みたいな発言をした。

 

まあ確かにそれは図星ではあるし、他の家の人よりも多少多くの支えをもらって生かしてもらったとは思う、感謝もしてる。あの人らもその自負があってそういうことを言ったのだと思う。

そう。言ってることは間違いないし、自分もそう育ってきたのかもしれない。ショックだったのは、それが本当のことだとかではなくて、自分たちのためだけの発言だったことが悲しかった。

 

自分のために親として生き、自分のために命を削ってたくさんを捧げてきたことは百も承知だけど、その捧げてきた対象を下げてまで言うことではなかったと思う。

 

「がんばってきた」という言葉が前のめりになりすぎてしまったんだ。

 

 

 

(おれもさ、意外と考えてることたくさんあるよ。)

 

 

 

でもありがとうの意味も込めて、わざわざ反論とかそういうのはしなかった。本人からしたら間違いのないことだし。さらにさらにこういう意図も汲み取ってあげるのも、ちょーーーやさしいと思う。我ながらよくできたムスコ。

 

 

またこんな小さいことで悩んで、バカみたい。

 

 

おわり

 

我に返るスキマを埋めろ

 

最近ちっとも寂しくないので、こっちに戻ってこなかったです。いいことなのか悪いことなのかわからないけど、とりあえず楽しくやってます、こちらは元気です。

 

どんなもんですかー

 

の最近の日記です

 

 

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かこうかこうと思って、色々携帯のメモに残して置いたものから消費していこうと思う。

 

 

甲子園 慶応 がんばってる

 

 

これは多分Twitterで慶応が勝ち上がるにつれて、意識高い系とか港区界隈の人たちが解釈違いのオナニーのオカズに使われているのが嫌だったんだと思う。髪型自由、練習は2時間。偏差値は高くて、都会のシティボーイ、将来有望!みたいなところばかり触れて、彼らの努力を軽視しすぎているような気がした。きっと同じ土俵に立ったつもりで自分語りしてるんだと思うけど、お前がどんなに頑張ってもきっと甲子園なんて行けやしないよ。

 

 

最近、なんでもそうだけど外野がうるさすぎる。甲子園もそう、選手がただ頑張ってひたすら野球に打ち込んだ結果として全国へ行けたり、行けなかったり、勝ったり負けたり、喜んだり泣いたり、、、それが美しいだけであって、外野が自分のために球児とありもしない自己像を重ねたりしてイキって講釈垂れてたり、そういう消費のための"モノ"的な扱いをしているのを見ると辟易する。

 

 

本気でがんばってるボンズたちはマジでかっけえ、ただそれだけ。

 

 

 

本当はすごい と 本当にすごくない のバランスが生きる上で大事だと思う。

 

自己を自分の中で互いに補完するときにこのバランスが生きてくる。俺の理想のニンゲンは自分の中で矛盾を成立させなければならないものなのだ。実際に自分をすごい奴だと思う反面、本当にウジだとも思っている。だから自分に自信がある人が好きじゃない(些か傲慢すぎる)し、自信がないだけで生きてる人は人としての奥行きがない(それか早いうちにくたばる)と感じている。別に悪いことだとは思わないけど、どちらも矛盾しながら抱え持つことで人に優しくなれそうな気がする。

 

 

 

 

 

でもその矛盾のせいでここ数年間の自分はなんだか変な方向に向かって行っている。

 

"幸せになってはいけない"と脳みそに刻まれていることにやっと気づけた。カワイソウのポジション取りに自ら進んで行ってるきらいがある。"誰かと共存しているスペースで自ら幸せのポジションにつこうとしてはいけない"が正確な表現なんだけど、なぜそうなってしまうのか色々考えた。

 

「自分はすごくないやつ」だからみんなといるとき、みんなよりも幸せになってはいけないんだ。という気持ち。

「自分は本当はすごいやつ」だからカワイソウというポジションでも傷ひとつつかない。強き者には強くあるべき理由があるという気持ち。

 

この両方が一致することだけしかできない。だから自分ひとりのフィールドで自分がただ幸せになることには躊躇わない。そういう生き方でしか自分を満たせなくなってきていて、おそらくちょっと損をしてきていると思う。

 

 

我に返るスキマを埋めろ

 

何かに没頭しろということなのか

 

愛を絶やすなということなのか

 

 

今我に返りすぎて頭がパンクしかけているので、ちょっとずつできることから。

 

楽しいだけで逃げるのももうやめようと思う。

 

あとはそれなりに〜

 

 

 

おわり

 

 

 

 

 

夏にまつわるエトセトラ

 

とうとう8月に突入しまして、ぼちぼち色んなことを整理しています、

 

の日記です。

 

 

最近ずっと暑いね。

 

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7月の下旬くらいから朝はやくに散歩をするようになった。2、3日に1回、朝 5〜6時くらいから、1人の時は30分、友だちと一緒の時は2時間くらい歩いている。30分歩くだけでも自分の知らなかった暮らしが見えてきて、それでいてまだ誰も活動していないこの時間がとても心地よい。

 

新築のにおいも、小さな三輪車も、全てしあわせを象っている。自分の未来もきっと明るいのだと思わせてくれる。老いにだって絶望しないよ、多分ね。

 

 

今日、コンビニの前で餓死するんじゃないかってくらい細い腕のおじいさんがいた。ちょっと薄汚れた、よくいるカンジの。その人を見て「あぁ、もしかしたら死ぬのかもな」なんて思ってしまった。ごめん、じいやん。でもよく考えたらその年まで立派に生き抜いてるのだから、余計な心配しなくていいなと思った。強く生きてほしい。

 

 

そうそう、エスカレーターで前にいたおばあさんも、今自分が突き落としたら間違いなく…とかこないだ不意に思ってしまった。マジで簡単に人って殺せるんだ。そう思えてしまって急に怖くなってきた。人一倍気弱な俺がそう思うんだから、ちょっと危ない奴なんかは小さなきっかけでストッパー効かなくなっちゃうよな。ありゃー後ろから刺されたらどうしよう、とか思ったりする。

 

 

 

こないだ人が目の前で倒れた。熱中症かあるいはアルコールでやられたのかは分からないけど、白目剥いて倒れていく姿がまだ忘れられない。フィクションでもなんでもなくて、ただ「死」があるのみで、人の意識の脆さがもう信じられない。ふとした瞬間にすぐ離れていっちゃいそうで。

 

 

暑いし、夜はヤンキーが街を埋め尽くすし、熱に浮かされてそのまんま帰れなくなったらどうしよう。

 

 

あなたもいつか泣くのであろう

少女期の日々の祭りのなかのあなたに

.内山晶太

 

この記事を書いていて、この詩を思い出した。勝手に色んなことを想像して、誰に向けてでもないのだけど、この先だれかとふつうのしあわせを共有したいなと思った。

 

 

最近、みんながサマードラッグ(今テキトーに考えた)に侵されすぎて怖い。「こうあるべき20代の夏!」みたいなものに囚われすぎていて、正直しんどい。

 

 

本当は自由であるべきなのに、誰も悪くないのに勝手にしんどくなってる自分がいちばんキショい。でもそんなダメな自分もすき。

 

 

 

夏に全肯定、近ごろは何が起きてもいい方に転ぶ気がします。みんなもそうだといいね。

 

 

工藤祐次郎の「暑中見舞い」、個人的に好きなので聴いてみてください。

 

 

 

ほんじゃまた、

 

 

おわり

 

せいについて

 

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正について

 

 

自分とは違う正しさを持っている人を馬鹿にしたくないけど、理解はできるものじゃない。分かり合えないものを分かろうとして、ひとりでに悲しくなるのは傲慢だと思う。

 

 

16タイプ診断(mbti)で、「人の気持ちがよくわかる方だと思う」という質問があって、もやもやした。自分は、人の気持ちの浮き沈みに敏感な方だと思う。けどそれは相手の気持ちが分かるとかそういうものではなくて、テンション感だけの問題であり、結局どこまでいっても何をどう思っているのかなんて、わかった気になっているだけでしかない。だから素直に「そう思う」は押せなかった。

 

 

それでも分かろうとする努力だけはやめたくない。それぞれの正しさを一旦、自分の中で考える時間は必要不可欠だと思う。

 

 

 

生について

 

 

最近、全てに対して放棄しているような気がする。生活の中で色だけがごっそりと抜け落ちたような、明日が来るまでの時間の消費みたいな感覚に陥っている。日常の中の「死」が足りてないのだと思う。死を感じない最近の生活は「生」に執着できていない気がする。日常の中の「死」は、本当に死ぬとかそういうのじゃなくて、些細な終わりだとか、1日を目一杯生きてみた感覚だとか、永遠の否定性の小さな積み重ねだと思う。

 

 

こないだとても天気が良い日に屋根の上に登って、緩やかで終わりのない景色を見た。見えるもの全てが生きていて、「どうせ死ぬなら、今日みたいな素敵な日にしよう」という人が少なくないのがなんとなく分かった。でも、夜になれば俺たちは一旦、死を迎えるし、小さな器に注いできたものを大事にしたい。

 

(聖について)

 

神様に選ばれる日が来るまで、地べたを這って行きたい。全力と怠惰の繰り返しで、熱を冷まさないように。

 

 

 

性について

 

 

 

童貞思考というか、自分は極端にそういうものが苦手。下ネタとかそういうのじゃなくて、本来着き始めるべき色に対してまだ受け入れられないときがある。あくまで人間同士としてのやりとりで生きていたいけどもうそんな綺麗事は通じないというか、自分が一番わかっているのがひどく悲しい。否が応でもついてくるこの欲に打ち勝とうとしている自分と、離れられないと分からされている自分の狭間でどうしようもなくなっている。

 

 

そういう事を否定できなくなってから、殻に閉じこもることが多くなってきたと思う。深層心理を覗かれるのも嫌だし、そういう行為を簡単に消費し続けることで、ちっぽけな存在になるのが怖いのだと思う。

 

 

本当はもうこんな変なことで悩んだりしたくない。

 

 

 

生と聖 

 

正と政

 

性と青

 

 

say ho!

 

 

 

ぜんぶぜんぶ受け入れられたらいいな

 

とりあえず2週間くらい駆け抜けてゆくぞーっ

 

 

おわり

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

レイン のち、ボー

 

最近、出遅れた梅雨みたいな季節で気が滅入る日々です。せめて気温を低くしてほしいものです、

 

の日記です。

 

 

 

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一昨日、連日の雨で体が鈍ってしまったから散歩をしてみた。ちょっと暑かったけど、気にならないくらいに楽しめた。

 

歩いていたら目の前にパチ屋があって、ふと入ってみようか迷った。こういうときじゃないと一生入る機会がないと思ったし。でも結局、お金もないし面倒くさくて入るのをやめたけど、心の揺らぎみたいなものは確かにあった。

 

本当にこれは小さなことだったけど、人間を形成している道のようなものはとても不安定で、少しでも揺らげば思わぬ方向に向かってしまうのだと感じた。前まで仲が良かったのに、最近になって苦手になってしまった人も、ほんのちょっとの揺らぎの連続で自分の近くから離れていってしまったのだとすると、仕方のないことだと思う。自分だってそういったもので自分らしからぬ自分になっていたかもしれない。

 

こういうちょっとした好奇心の揺らぎには強い方だと思う。けど言い換えれば、自分はつまらない人間だと言ってるようなもので、心が弱いから一歩外に踏み出す勇気もないし、いつもの自分を曲げたことで、何かが起きた時に言い訳できないのが怖いのだと思う。それでいてつまらない人間だと思われるのも怖い。だから薄っぺらいものをこねくり回して皆に虚勢を張っている。

 

ずっと厚みのない、表面だけのことばかりしていたような気がする。だから皆より何事もできているようなフリをして、本当はなにひとつ勝ってるとこなんてなかったとずっと思い続けている。

 

 

したことのないことをするのが怖い。できることしかしたくない。無いものを数えるくらいならあるものを見つめ直したい。全てにおいて"中途半端"で生きてきた自分のコンプレックスと強みがそこに凝縮されている。だから"できないこと"に対しての苦手意識が強すぎてしまう。自分の"できること"は価値がそこまでないのに、"できないこと"があるとすると強みすら消えて、コンプレックスだけが残ることになってしまう。

 

 

自分の弱さとそろそろ闘わないといけない気がする。

 

 

なんでもいいから、いちばんになりたいな

 

 

俺もそう思う

 

 

水彩の勉強を始めたんだけど、引き算がむつかしんですねこれが。心配になって線を足しすぎて、俯瞰してみるとゴチャゴチャになってたりする。

 

あとビビりすぎて思い切った色遣いができなくて、そこは練習あるのみだと思う。

 

ただ、外にでたときに見る雲の切れ間の光とか、雨粒が線上に当たった電柱とか、街灯がつきはじめる時間の家路とか、そういったものに好感を持って歩けるようになった。これは素敵なことだと思う。

 

* 

 

木という字を一つ書きました 一本じゃかわいそうだから と思ってもう一本ならべると 林という字になりました 淋しいという字をじっと見ていると 二本の木が なぜ涙ぐんでいるのか よくわかる ほんとに愛しはじめたときにだけ 淋しさが訪れるのです

.寺山修司「ダイアモンド」

 

 

ひとりでいる時間が多すぎて、分からないけどなんとなく分かるかもしれない

 

 

 

ひととおり悲しんでも、それはそれで大丈夫

 

はやくカラッカラに晴れますように

 

 

おわり